時論 コロナ禍に見る「經世濟民」
2020年5月
時論 コロナ禍に見る「經世濟民」
名古屋外国語大学特任教授 日本日中関係学会副会長 川村 範行
新型コロナウイルスは世界中に蔓延し、長期戦が続いています。人類は疫病との戦いの歴史とも言われます。多くの犠牲の上に疫病対策の医学・薬学などが発展し、社会や政治、経済のあり方まで変えてきました。
未知のウイルスの世界的拡散を予言したかのような、小松左京著「復活の日」(1975年初版)には、次のような記述があります。「この災厄をもたらしたものは誰だ?人類の機構そのものか?ある時期の誰かのミスか?(中略)二十世紀の政治体制のどこかの一部であることまではわかっているのだ。」と。眠っていたウイルスを目覚めさせたのは、まさしく今に生きる私たちなのだということです。
問題は、目覚めて猛威を振るうウイルスに対して、世界各国がどのように対峙しているかです。本来なら、発生地である中国と各国が連携協力して感染拡大防止に必要かつ有効な措置を執り、共同でワクチン開発研究に取り組んでいくべきです。現実は各国まちまちの対応どころか、大国同士の対立をもたらしています。
結果論になりますが、日本では官邸が東京五輪開催と外国人目当て観光継続に固執したため、出入国の果断な制限措置が大幅に遅れました。その後も国民に「要請」するばかりで、責任逃れともとられかねない、ちぐはぐで後手後手の対応です。
安倍首相は節目ごとに記者会見しましたが、言葉の軽さもあって国民の心に響く内容とはほど遠いものです。対照的に、ドイツのメルケル首相は異例のテレビ演説で、旧東ドイツ国民だった自らの体験から「移動の自由を強いる心苦しさ」を素直に述べて国民の共感を呼び、内外で称えられました。演説全文からは彼女の敬虔な宗教心に基づく、思慮深く説得力のある言葉を知ることができます。
指導者の違いはどこから来るものでしょうか。普段から国民に向いた政治姿勢をとっているか否か。国民のための政治か、政権維持のための政治か――政治哲学の違いです。政治の要諦は古(いにしえ)から「經世濟民」にあります。「世を經(おさ)め 民を濟(すく)う」。図らずもコロナ禍は指導者の資質の違いを国民にさらけ出しました。
コロナ禍から「本当に必要な指導者は誰か」の判断を得たことが、それぞれの国民にとって貴重な“収穫”と言えるでしょう。
(5月10日 記、日中友好99人委員会会報2020年夏季号『巻頭言』より)