時論 「独裁者に必要な『諫官』」
2020年11月
時論 「独裁者に必要な『諫官』」
名古屋外国語大学特任教授 日本日中関係学会副会長 川村 範行
(元東京新聞・中日新聞論説委員、上海支局長)
世界のあちこちで政治指導者による“独裁化”が進んでいる。国内政治を歪めるだけでなく、国際関係にも悪影響を及ぼしている。第二次世界大戦後の国際社会は民主主義、国際協調を基軸に発展してきたが、独裁化が健全な発展を阻害する要因となりつつある。
わが国では、憲法を変えるには手続き的にハードルが高いため、それならと解釈を変えて国家の安全保障の基本方針などを覆してしまった。その後継指導者は、ルールを無視して、意に沿わない公務員や学者を更迭すると公言して憚らない。多数を恃みにした横暴であり、独裁への道である。もっとも、堂々と憲法を改正して自らの任期制限を撤廃し、指導者を奉ることを義務付ける法律さえもつくった国もある。複数の国では指導者を選ぶ選挙まで捻じ曲げようとしており、民主主義の根幹を揺るがす深刻な状況と言えよう。
こうした指導者に共通しているのは、異論を許さない排他主義、強権主義である。異論を徹底的に排除する。国民の人権や思想・信条・信仰・学問の自由などは二の次だ。指導者の周りからは意見や忠告をする人が左遷され、遠ざけられる。結果として、指導者の顔色を窺い、指導者に忠実な側用人、或いは下僕が多くなる。矜持のある人は内心忸怩たる思いをしているが、浮かばれない。
中国には秦のころから皇帝に忠告し意見を述べる「諫官」(かんかん)という役職があった。残念ながら諫官の言うことを聞き入れた皇帝は少なく、諫官の大半は左遷や殺害の目に遭ったという。例外は唐の太宗である。太宗の言行録である「貞観政要」の「直言諫諍篇」には、臣下の直言を受け入れる態度が表されている。正論なら称賛して、改めるところを改めたという。臣下も時には死を覚悟して諫めたという。玄宗が英名君主とうたわれ、時の政治が貞観の治と称えられたゆえんであろう。
独裁下では人事報復などによる恐怖政治、それによる忖度政治がはびこる。「悪貨は良貨を駆逐する」― これは通貨の法則であるが、政治の世界にも援用できる。長期政権になるほど、政治は劣化し、社会のあり様まで変わっていく。気が付いた時は既に遅く、修復しがたいほどになる。
独裁を防ぐには初期段階で声を挙げることが必須と、歴史は教えている。
ドイツ人のマルティン・ニーメラー牧師の警句がある。「ナチスが共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声を挙げなかった。私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。社会民主主義者ではなかったから。労働組合員が攻撃されたときも私は沈黙していた。そして彼らが私を攻撃した時、私のために声を挙げる人は一人もいなかった」。
フランスの心理学者で人権活動家のフランク・パヴロフ著の「茶色の朝」(日本オリジナル編集版)は、こう記す。茶色党がペット特別措置法で茶色以外の猫を駆除する処分を始め、これに反対する新聞が廃刊となり、気づいたときは全て茶色しか許されない社会になっていた。あの時、「いやだと言うべきだった、反対すべきだった」―と。「茶色の朝」にならないように、小さな声でも多くの人が挙げなければならない。「諫官」に代わって。
(2020年11月 記 、日中友好99人委員会会報2020年冬季号より)