時論 「森武先生を偲ぶ」
2021年4月
時論 「森武先生を偲ぶ」
名古屋外国語大学名誉教授 日本日中関係学会副会長 川村 範行
(元東京新聞・中日新聞論説委員、上海支局長)
ピンポンを通じて日中友好に尽くされた森武・早稲田大学名誉教授(日本卓球協会名誉顧問)が3月29日、東京都内で逝去されました。享年89。私がご訃報を知ったのは、奇しくもピンポン外交50周年記念国際シンポジウムが4月17日、名古屋で開催された当日のことでした。
1971年3月、名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会に中華人民共和国チームを招請するために、同年1月に国交のない中華人民共和国へ後藤鉀二・日本卓球協会会長とともに交渉に出向いた4名の一人が、日本卓球協会常任理事の森先生でした。
ピンポン外交から40周年を過ぎたころ、森先生は当時の克明なメモを基に「ピンポン外交について本にまとめたい」と私に相談されました。私が良く知っていた、名古屋の出版社「ゆうぽおと」の山本直子編集長に打診すると、「ぜひ、歴史的な証言を出版したい」と快く引き受けてくれました。2015年に『ピンポン外交の軌跡~東京、北京、そして名古屋』を世に出すことができました。
「あの卓球が、日本と中国を、そしてアメリカを動かした 卓球人が初めて明かすピンポン外交の舞台裏」― 本の帯に山本編集長がつづった紹介文です。
森先生は「ピンポン外交の発生地である名古屋から出版ができるという幸運に恵まれた」(あとがき)と喜んでくださいました。森先生から頼まれて、私は当時の国際情勢や日中関係について「解説」を執筆するという栄誉に浴しました。
出版に向けて、森先生の手書きの原稿を、私がパソコンで入力し仕上げました。詳細かつ正確な記述に感服したことを今も覚えています。
私が企画した第一回日中大学生討論会が2015年10月に名古屋で開催された前日、森先生は足を運ばれ、愛知県体育館のピンポン外交記念レリーフの前で両国代表学生にピンポン外交について熱弁を振るわれました。
森先生は早稲田大学卓球部主将として活躍。1956年度日本軟式卓球選手権大会シングルズで優勝、その後は多くの国際大会で総監督・監督を務められました。快活、公正。名実ともに卓球人であり、スポーツマンでした。
森先生は長く日中友好99人委員会の会員でした。東京の日中友好会館で2005年開講した日中交流史研究会ではピンポン外交の詳細な講演をされました。会員を辞めてからも、2019年12月25日、華僑会館での99人委総会後の懇親会に出席されました。秋岡先生から私が99人委会長職を受け継いだ新体制の門出に、わざわざ駆けつけられました。義理堅い方です。ブレザー姿で“早稲田カラー”のネクタイがお似合いでした。若い院生の王培璐(横浜国大院)、丁天聖(東大院)両氏に日中友好の大切さを饒舌に語られました。これが最後のお姿でした。天国で好きなピンポンをされていることでしょう。
ご冥福をお祈りします。合掌