時論 「ピンポン外交50周年が問いかけるもの」
2021年5月
時論 「ピンポン外交50周年が問いかけるもの」
名古屋外国語大学名誉教授 日本日中関係学会副会長 川村 範行
(元東京新聞・中日新聞論説委員、上海支局長)
小さなピンポン球が外交を動かした「ピンポン外交」50周年を記念する国際シンポジウム(東海日中関係学会主催)が去る4月17日(2021年)、名古屋で開催された。テーマは「名古屋ピンポン外交から半世紀の日中・米中関係」。
1971年春に愛知県体育館で開催された第31回世界卓球選手権大会が舞台。大会期間中に米中両国チームの交流が生まれ、米国チームを中国へ招待するという毛沢東・周恩来側の“サイン”を契機に、ニクソン・キッシンジャーとの外交が一気に動き、朝鮮戦争以来敵対していた米中両国の急接近、中国の国連加盟、日中国交正常化が実現した。国際政治構造を変えた重要事件であった。
国際シンポジウムの基調講演で、国交のない中華人民共和国チームの招請に北京へ出向いて交渉した後藤鉀二・日本卓球協会長の元秘書・小田悠祐氏が「後藤会長は中国側から台湾問題で厳しい要求を突きつけられたが、『後藤会長は中日政治三原則を支持した。これ以上、春節の客人を困らせるな』と後藤会長の立場に配慮した周恩来総理の指示で交渉が進展した」と当時の舞台裏を披露。
当時の中国卓球代表団の通訳を務めた周斌氏が上海からシンポジウムにメッセージを寄せ、「日本が当時のように、米中両国の懸け橋となって、相互理解と交流を促進してくれるように心から願う」と、日本の役割に再び期待した。
また、中国国際友人研究会常務理事の王泰平・元駐大阪総領事は貴重な書面発言を寄せ「日本は米国の戦略に追従するのではなく、日本と中国は協力の可能性が広くある」と、日中協調の方向性を強く訴えた。
パネル討論を受けて、コーディネーターの川村が「半世紀前の1971年7月と10月、キッシンジャー大統領特別補佐官と周恩来総理が『対等と相互尊重』を基本に通算42時間に及ぶ対話により、一致点を見いだし、米中和解を決定づけた“ピンポン外交精神”の教訓を汲むべきだ」と総括した。
(2021年5月 記 、日中友好99人委員会会報2021年夏季号「巻頭言」より)