時論 「日中交流に尽くした人々に学ぶ~国交正常化50周年に向けて~ 」
2022年1月
東海日中関係学会会長 名古屋外国語大学名誉教授
東海日中関係学会会長 名古屋外国語大学名誉教授 川村 範行
(元東京新聞・中日新聞論説委員、上海支局長)
- 一、日本と中国の人文交流の歴史を振り返る
(1)鑑真和上の東渡と日本人僧・栄叡(ようえい)
中国の高僧・鑑真和上は、5度の渡航に失敗し、両目失明しながらも753年に来日し、唐招提寺を開いて仏教の戒律を広めた。
日本語、中国語の絵物語『鑑真和尚』(大道社)が2021年に出版された。鑑真の偉大な足跡を日中両国の若い人たちに知ってもらおうと、台湾籍で日本生まれの陳寬さん=東京在住=が自ら絵筆を取り、執筆。
1980年、唐招提寺に奉安されている国宝の鑑真和上座像を鑑真和上ゆかりの揚州と首都北京へ運んで中国の人々に披露した「鑑真大和上お里帰り巡回展」の際に、陳寬さんは唐招提寺第81世森本孝順長老と中国仏教会会長趙撲初会長の通訳を務めた。
森本長老は広東省肇慶市まで足を運び、鑑真に付き添って来日前に異国の地で病死した日本人僧・栄叡大師のお墓参りをし、「来るのが遅すぎた!こんなに長い間、あなたを異国でお一人にさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした」と泣き崩れたと、絵物語に記述。
鑑真和上の没後1250年余り、時空を越えて日中間の人文交流は私たちの心をも揺さぶる。
(2)藤野厳九郞と魯迅の師弟の絆
1904年に来日し、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)で学んだ周樹人=のちの中国近代文学の父・魯迅=は帰国する際に藤野先生から贈られた、「惜別 藤野 謹呈 周君」と裏に書かれた肖像写真を生涯持ち続けた。魯迅はのちに『藤野先生』を執筆、生涯慕い続けた。中国の教科書にも掲載。
藤野先生は「少年時代に漢文を勉強し中国の先賢を尊敬していたため、中国から来た人を大切にしようとした」と述べ、「中国は文化の教師である」と度々語っている。
仙台市に「魯迅の碑」、藤野先生の出身地の福井県芦原町(現あわら市)には魯迅の孫の周海嬰の揮毫による「藤野厳九郞の碑」があり、芦原町と魯迅の故郷紹興市は姉妹都市。
魯迅生誕140年を記念して2021年10月に中日オンライン交流会が開催された。いまもなお、藤野先生と魯迅の師弟の絆は日中両国を結びつけている。
- 二、国交正常化50周年に至る紆余曲折の日中関係から知恵を学ぶ
(1)中国の改革開放と日本の支援
鄧小平は日本を改革開放のモデルにした。1978年に初来日した鄧小平副総理は①日中平和友好条約の締結批准②日本の経済発展の実情を見聞する―の二つの目的があった。松下電器(現パナソニック)訪問で松下幸之助氏に中国への工場進出を要望し、実現した。最新の新日鉄君津製鉄所見学を契機に、日本の援助で上海宝山製鉄所プロジェクトが動いた。鄧小平は帰国直後の1978年11月に日本へ経済視察団を派遣し、経済政策関係者20名が1カ月滞在して日本の経済政策や企業実態を研修し、鄧小平に報告した。さらに、翌1979年1月には日本の代表的エコノミスト、大来(おおきた)佐武郎と向坂(さきさか)逸男の両氏を外国人として初めて中国国務院経済顧問に招聘し、北京で中国の党・政府幹部や官僚が両氏のレクチャーを受けた。こうした取り組みは中国の改革開放政策に貴重な貢献を果たした。
(2)難局打開の行動と知恵
①2008年5月、福田康夫首相は来日した胡錦濤国家主席との間で「戦略的互恵関係の包括的推進に関する共同声明」に合意し、日中友好路線の上に新たな日中関係の枠組みを構築した。この年3月にチベット騒乱、北京五輪反対運動の状況下で、胡錦濤国家主席来日前に福田首相は手紙を書いたと証言。
「チベットの人権問題を解決しろという言い方はしないで、1964年の東京五輪を成功させて、国際社会の日本を見る目が変わり、日本人も自信を付けるきっかけとなった経験を説明。北京五輪は中国の国民・国家として飛躍のきっかけとなる大事なものである。評価を下げるようなことがあれば、今のうちに問題を解決した方がいいと、アドバイスした」。中国側が直ちにチベットへ人を派遣して解決に向けて努力したと、感謝の回答もあったと言う。(2022年1月10日のBS番組「報道1930」で証言)。北京冬季五輪を前にした現在の状況にも通じることである。
②2012年の尖閣国有化問題と翌2013年の安倍首相の靖国参拝で日中両国が国交回復以来最悪の対立状態になり、福田康夫元首相は「中国との関係を正常化しなければならない」と考え、局面打開に向けて動いた。2014年5月頃から安倍首相に非公式に接触して日中関係を重要視していることを確認し、「靖国参拝をしない」との感触を得た。福田元首相は「自分が習近平主席に会って話をしなければならない」と考えて、両国の外交関係者に打診し、同年7月に極秘訪中。習近平国家主席と会談し、安倍首相の靖国不参拝の方向と、尖閣問題で「双方に意見の違いはあるが衝突事故は止めよう」などを伝えた。さらに、同年10月にも福田元首相は訪中して習近平主席と会談し、尖閣問題での4つの共通認識へとつなげて、翌11月の安倍晋三首相と習近平国家主席の初首脳会談を可能にした。その後、毎年のように日中首脳会談が実現し、日中関係が徐々に改善の軌道に乗ったのは、福田元首相の局面打開の働きによるところが大きい。(②も、2022年1月10日のBS番組「報道1930」で福田元首相が詳しく証言)。
③福田康夫元首相は2021年10月、第17回東京・北京フォーラム「安定化する世界での日中関係と国際協調の修復― 国交正常化50周年に向けて」(主催:言論NPO、中国外文局)の講演で、「首脳往来、国民間交流が途絶えたままで、相手への理解が足りない。悪循環になっている」と危惧、「日中が緊張と対立を続ければ、50年来の努力が傷つけられてしまうもしれない」と厳しく警告。「こういうときこそ、相手の嫌がることを言わないことが大事だ」と強調した。
④福田康夫元首相は2022年1月10日のBS番組「報道1930」(前述)で、「トップが全権を握っている中国を相手には、トップに会って話し合うしかない」「早く首脳同士が会って、何を考えているか、相手に何も望むか、お互いが満足できるような世界をつくっていくことや、気候変動、国際社会の在り方などを話し合ったらいい」と、早期の日中首脳会談を提唱。「首脳同士の対話を引き留めるようなことを国民がしてはいけない」と日本国内にも釘を刺した。全く同感である。私たちは福田元首相の知恵や提言に耳を傾ける必要がある。
三、日本の対応
日中関係はいま、台湾、人権、領土などの問題に直面し、かつてないほど難しい転換点に立っている。中国は50年前の発展途上国から今やアメリカと肩を並べる世界第2位の大国になり、日本と中国の力関係の逆転に加え、米中対立の影響や習指導部の強国志向など、日中関係の土台(状況)が大きく変化している。
日中関係の改善に向けて先ず二点を指摘したい。
(1)日本と中国の交流を築いた人たちの人文交流の歴史を両国民が知り、共有することでお互いを理解する基礎と世論ができていく。
(2)そのうえで、日本政府は米国の対中戦略に追従するのではなく、近年の日中関係の立て直しを図った福田康夫元首相の知恵や助言などから学び、活かしていく賢明さをもちたい。日中首脳(外相)会談の早期実現を図ることが何よりも求められる。
具体的に2点を提言する。
(1)2022年1月に正式発効の東アジアの地域的包括的経済連携(RCEP)を活用する。日中韓とASEANに豪州、ニュージーランドの15か国が署名し、GDP26兆㌦と世界経済規模の約3分の1、人口は22億人と世界人口の約3分の2を占める巨大経済圏が形成される。中国と韓国が初めて日本と経済連携協定を結んだことも画期的。RCEPを活かして日中間の経済貿易関係を発展させ、関係を構築していく。
(2)次に、2011年にソウルに設立された国際機関、日中韓三国協力事務所を基盤として、新たに“北東アジア非戦地帯”“北東アジア平和共存構想”を掲げて取り組む。東アジア・世界の平和・安定の在り方について日本と中国・韓国が認識や目標を共有することで、信頼関係を築いていくカギとなるよう提言したい。
*東海日中関係学会は本年9月1日、名古屋市内の愛知大学名古屋キャンパスで日中国交正常化50周年特別シンポジウムを開催する。愛知大学国際中国学研究センター、中日新聞社と共催。
趣旨は、半世紀前の日中国交正常化の原点に立ち返って日中関係の検証をすると共に、これからの半世紀の新たな交流の在り方を展望する。統一テーマは「日中新交流の1世紀に向けてー国交正常化の原点に立ち返ってー」(仮)。
薮中三十二(みとじ)・元外務事務次官による基調講演でグローバルな視点から見た日中関係を論じていただく。次に、学者・ジャーナリストによる討論会で政治外交、経済貿易、国民世論、歴史文化など主要課題について掘り下げていく。
( 2022年1月29日 東海日中関係学会公開研究会の講話より )