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時論 大江健三郎氏を偲ぶ北京シンポジウムへのメッセージ

2023/03/22

 3月22日に北京で故大江健三郎氏を追悼する「大江健三郎平和主義思想及び其の現代価値」シンポジウムが開催されました。中国社会科学院日本研究所(楊伯江所長)と中華日本学会(高洪会長)の主催により、中国の著名な学者・研究者・作家など約100名が参加しました。
 私は、主催側の招請を受けてメッセージ「行動するノーベル賞作家 -大江健三郎氏の思想と行動の広がりを考える-」を寄稿し、会場で代読されました。
 シンポジウムの趣旨は、「3 月 3 日に逝去した故大江健三郎氏の文学分野での業績を振り返り、中日両国の友好促進における重要な貢献を記念するため」(招請文より)。
党大会、両会を終えて、日中関係への中国側の積極的な姿勢の表れとも受け止められます。
以下は、メッセージ原稿と、中国社科院日本研究所HPのシンポジウム報告(中国語版)です。

 

「行動するノーベル賞作家 -大江健三郎氏の思想と行動の広がりを考える-」

 

                                     2023年3月22日

名古屋外国語大学名誉教授、日中関係学会副会長 川村範行

(元東京新聞/中日新聞論説委員・上海支局長)

 

 尊敬する高洪会長、尊敬する楊伯江所長はじめ、ご臨席の皆様に慎んで御挨拶申し上げます。本日は、中国社会科学院日本研究所、中華日本学会の主催による「大江健三郎平和主義思想及び其の現代価値」シンポジウムにご招待をいただき、挨拶の機会を与えられたのは誠に光栄であり、心から感謝申し上げます。

 亡き大江健三郎氏の類希な思想と作品を振り返るとともに、中日文化交流に於ける貢献を記念する、こうしたシンポジウムを中国で開催することは、世界の文学史上のみならず中日関係に於いても極めて重要な企画であり、主催者のご努力に深く敬意を表します。

 大江氏は、日本人として二人目のノーベル文学賞を受賞したことに甘んじることをしないで、同時代の重要な問題に常に真正面から向き合った偉大な知識人でした。反戦平和と憲法擁護、原発・核兵器反対を明確に主張するだけでなく、自ら抗議活動にも積極的に参加しました。その意味から“行動するノーベル賞作家”と呼ぶのにふさわしい人物でした。

 大江氏の思想と行動の原点は、人類史上初の原爆投下を受けた広島の人々の生き方を知ったことにありました。大江氏は1960年以来、たびたび広島を訪問し、原爆被害を受けた被爆者(ヒバクシャ)の悲惨な現実を直視し、自分の思想を根底から揺さぶられます。原爆投下から20年目の1965年に大江氏はノンフィクション作品「ヒロシマ・ノート」を刊行し、その中で、「広島で、人間の正当性というものを考える、手がかりをえた。人間の最も許容しがたい欺瞞というものを眼にした」と記述しています。「広島で発見した、もっとも根本的な思想」として「人間の威厳」を挙げています。

 原爆投下について「われわれの文明が、もう人類と呼ぶことのできないまでに血と細胞の荒廃した種族によってしか継承されない、真の世界の終焉の最初の兆候かもしれないところの、絶対的な恐怖にみちた大殺戮だった」と記述し、原爆投下を“絶対悪”として断罪しています。

 そして、大江氏は原爆被災白書の運動に参加しました。その理由として、大江氏は「原爆病院の院長をはじめとする、真に広島の思想を体現する人々、決して絶望せず、決して過度の希望を持たず、状況においても屈服しないで、日々の仕事を続けている人々に連帯したい」と、記述しています。この「連帯」するとの考え方が、大江氏のその後の実際行動を形成しました。

 2011年には東北大震災と福島第一原発事故が起きました。大江氏は翌年2012年に、「脱原発法制定全国ネットワーク」の代表世話人を務め、2025年度までのできる限り早い時期に日本国内に有る全ての原発を廃止するとの「脱原発基本法」の制定を目指しました。反原発集会やデモ行進にも何度も参加し、次のように訴えました。

 「私は広島、長崎、そして福島をなかったことにしようとする連中と闘う。もう一台の原子炉も作動させぬ、そのために働く」

 「反原発に向けて頑張っていく以外に,日本人が二十一世紀で尊敬される道はない」

 大江氏の思想の根底に於いて、ヒロシマとフクシマは一つに繋がっていたのです。大江氏にとって原爆投下と原発事故は「被曝」をもたらすという点で、共通の罪悪となるのです。放射能被害を恐れて、今もなお多くの人々が福島を離れて避難生活を送っています。「決して絶望せず、しかも決して過度の希望を持たず、いかなる状況においても屈服しないで、日々の仕事を続けている人々」と大江氏が「ヒロシマ・ノート」に記述した人々が、福島の避難住民の姿に重なるのです。

 大江氏は2013年に、福島原発後の日本を舞台にした小説「晩年様式集」を刊行し、小説の中で東北大震災と福島第一原発事故により精神的なダメージを受けた老作家、長江古義人(ちょうこう・こぎと)に自己批判させます。即ち、大江氏自身を描いたものでした。

 2013年、中日新聞・東京新聞のインタビューで大江氏は「事故前の私は、五十数個の原発に対して全く有効な抵抗をしなかった人間であることを認めます。それは有罪だと思います」と、自責の念を語っています。「核兵器に脅かされる人類」を小説の主題としてきた大江氏にとって、広島の原爆と共に原発は切実な課題になったのです。

 日本の岸田政権がつい最近、最長60年までの期限を超えて原発を稼働させる政策転換を行いました。大江氏が健在ならば、時代に逆行する日本政府の原発推進政策に憤り、ペンによる言論と街頭行動による演説で絶対反対を訴えたと想像されます。

 ヒロシマの反核・反戦思想を基本に、大江氏は、二度と戦争をしない「不戦平和」を明記した日本国憲法第九条を守る運動を提唱しました。2004年6月に評論家加藤周一さんらと護憲派の市民団体「九条の会」を結成し、呼び掛け人になりました。この背景には、2003年にアメリカが始めたイラク戦争で、小泉純一郎内閣が戦後初めて、戦闘が行われている外国に自衛隊を派遣した事に対し、危機感を持ったためです。当時の記者会見で大江氏は「憲法9条をひっくり返すための実績が1つ積まれた。外してはいけない土台として憲法があると考えてきた」と、警鐘を鳴らしました。九条の会はその後、全国に拡がりました。

 安倍晋三首相が2014年に歴代政権が認めなかった集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、「積極的平和主義」と呼んだ事に対し、大江氏は中日新聞・東京新聞のインタビュー企画で「政府が言う『積極的平和主義』は、憲法九条への本質的な挑戦だ」と、批判の声を上げました。

 さらに、岸田内閣は昨年12月に、歴代内閣で初めて敵基地攻撃能力の保有を認め、防衛費を倍増するという安全保障政策3文書を閣議決定し、戦後日本の安全保障政策の大転換を謀りました。これは戦後日本政府が堅持してきた専守防衛の基本方針と憲法九条に反するものであり、国権の最高決議機関である国会の審議を後回しにしたのは、議会制民主主義を軽視する重大事です。しかも、敵基地攻撃能力の矛先がどこに向いているかというと、中国と北朝鮮を想定しているのです。中国を仮想敵と見なすのは日米同盟に於いて初めてであり、日中国交正常化以降に於いて初めての重大事です。私は、安全保障政策の転換が日中関係へマイナス影響を及ぼす事を憂慮し、日本国内の学会や講演会において「中国は敵ではなく、日中両国の協調による東アジアの平和構築を推進すべきである」と主張しています。

 しかし、イラク戦争への自衛隊派遣当時や集団的自衛権行使容認決定の当時と比べて、現在の日本国内では、安全保障政策の大転換に対して批判報道や反対デモなどの動きは少ないのが現状です。

 日本国内で軍備増強や原発推進の動きが進む今こそ、大江健三郎氏が訴え続けた「反戦平和」「原発・核兵器の廃止」の旗を、ポスト大江世代の人々が掲げていく必要があるということを、私は強調したいのです。

 また、大江氏が1964年から50年間に六回も中国訪問をして、多くの作家、研究者と思想・信条面で友情を深めたことは特筆に値します。大江氏は中国での講演で少年時代から魯迅の作品を読み影響を受けたことを吐露しています。大江氏曰く、彼の血管には中国文学の血液が流れ、体には中国文学の遺伝子を持っている、というのです。私は、日中の文化交流を深化させた大江氏の功績を称賛します。

 最後に、私事で恐縮ですが、私は早稲田大学政治学科を卒業後、日本の中日新聞社に勤務し、上海支局長や論説委員を歴任した後、名古屋外国語大学で日中関係論や現代中国論の研究・教育に取り組んできました。2004年以降、日本ジャーナリスト訪中団の団長としてほぼ毎年、貴国を訪問し、その都度、中国社会科学院日本研究所の皆さんと座談会を開催し、日中関係の在り方について率直な意見交換を行ってきました。また、上海の同済大学アジア太平洋センターの顧問教授として10年余り、同済大学主催の日中韓三カ国フォーラムに毎回参加し、意見発表や討論を行い、学術交流を深めることができました。こうしたことに対し、改めて感謝申し上げます。過去3年間、新型コロナの影響で、中日両国間の学術文化等の交流が途絶えた事を残念に思いますが、昨年11月に日中関係を重視する習近平国家主席と岸田文雄首相との首脳会談が実現し、対話と交流の再開が合意されました。今年は日中平和友好条約締結45周年を記念して中日両国間の学術文化交流を再開し、中日両国の知識人同士が連帯して、大江健三郎先生の遺志を継いで「反戦反核・平和」と「中日文化交流」の実現に共に努力するよう、私は皆さんに呼び掛けます。

 本日のシンポジウムにご参加の各位の御健勝と、中日両国の友好関係の発展を強く願って、私の挨拶を終わります。ご清聴に対し、心から感謝申し上げます。(結)

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