時論「中国主導の世界は可能か- 新たな発展理念“人類運命共同体”白書から -」
東海日中関係学会会長 川村範行 (名古屋外国語大学名誉教授)
2024年01月27日
今日の世界は、米中新冷戦、ウクライナ戦争、さらに中東紛争など、百年に一度の大変動に直面している。米国などが「専制主義(権威主義)対民主主義」と国際社会を分断する主張をし、中国封じ込め政策による安全保障上の対立、経済安保のデカップリングが深刻化している。国際連合の機能不全、WTO体制の不安定化をもたらし、第二次世界大戦後の国際秩序の崩壊が心配されている。
こうした状況下で、中国は国連憲章や自由貿易の堅持を主張し、習近平国家主席の提唱する「人類運命共同体」の新理念(以下、「新理念」と略する)を国連総会決議を経て国際社会に広げようとしている。同時に中国が21世紀シルクロード構想「一帯一路」建設を沿線諸国と共同で推進し、10年間で世界で最も広範囲、最大規模のプラットホームを造り上げたという現実を見落としてはならない。米国の覇権が弱体化し、新興国によるグローバルサウスが台頭する中、中国が新理念と一帯一路により、果たして世界を主導していくのか。21世紀前半の国際勢力地図を予測する上で欠かすことの出来ない視点であると考える。
(1)先ず、中国の新理念がどういうものであるか。
中国の政府に当たる国務院新聞弁公室が2023年9月に発表した『手を携えて人類運命共同体を構築:中国のイニシアティブと行動』白書(以下、「白書」と略する)に全容が記されている。A4版で52頁にわたる長文だ。日本のメディアは、重要なこの白書と新理念の内容についてほとんど報道していない。
白書には新理念の考え方についてこう記してある。
「人類は歴史の岐路に立っている」とし、「相互依存は歴史的大勢である」「グローバルな課題にはグローバルな対応が必要である」「新しい時代には新しい理念が必要だ」と述べている。
続けて、「時代の問いに答え、将来のビジョンを描く」として、「国際関係に対する新しい考え方を確立」「グローバル・ガバナンスの新たな特徴を顕彰」「国際的なコンタクトの新しいパターンを創出」「より良い世界への新たなビジョンを構築」と記している。
(2)次に、新理念の基本は何か。
グローバル開発(持続可能な開発:国連の2030アジェンダと合致)、グローバル安全保障(持続可能な安全保障を追究)、グローバル文明(世界の文明の多様性を尊重)という「三つのグローバル・イニシアティブの実施」を提唱し、発展、安全保障、文明の三つの側面から人類社会の進むべき道を示している。「人類が直面している現在の課題に対する包括的解決策を提供するものである」という。
この「人類運命共同体」新理念は、2013年に習近平国家主席が提案をしたことに始まる。人類運命共同体の理念は国連総会で昨年まで7年連続で決議採択され、賛成する国家が増えていることは極めて重要である。日本のメディアが報道しなくても押さえておく必要がある。白書では「新理念が全人類の共通認識を反映するもの」と自賛している。
では、中国は西側の普遍的価値を否定し、既存の秩序に挑戦しているのか。
否、「人類運命共同体の構築は、過去の秩序を覆したり、新たな秩序を作ったりすることではなく、国際ガバナンス・システムを改革・改善するための中国のプログラムを提唱するものである」と白書は謳い、国連憲章を尊重すると明言している。また、中国は、西洋の普遍的価値観に対して、「全人類の共同価値」(平和、発展、公平、正義、民主、自由)を提唱し、これは西側の普遍的価値観を否定するものではなく、超越するものであると主張する。
(3)新理念を実践するのが、「一帯一路」共同建設である。
2013年に習近平国家主席が提唱し、中国を起点に21世紀のシルクロード(陸のシルクロード、海のシルクロード)の再興を目指し、沿線諸国と経済協力を進めてきている。中国は過去10年間で150カ国・地域、30国際機関と「一帯一路」協力協定に調印、広域経済協力の枠組みを強化した。具体的には鉄道、高速道路、港湾、空港などインフラ整備を進め、交通や物流を通じて経済発展を推進。アジア、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、南米に到る世界で最も広範囲で最大規模の国際協力プラットホームを造り上げたのである。
昨年10月に北京で一帯一路10周年記念の「第3回一帯一路国際協力サミットフォーラム」が開催され、習近平国家主席が過去10年の成果を誇ると共に、将来に向けて質の高い「一帯一路」共同建設のための「8項目の行動」を宣言した。日本のメディアはほとんど報道しなかったが、この点は注目すべきである。
「8項目の行動」では、中国と欧州を結ぶ直通貨物列車の拡充を柱に、3500億人民元の融資窓口の設立や、シルクロード基金への800億元増資のほか、小口融資支援プロジェクト1000件、中国による職業教育訓練などを挙げている。過去10年に被融資国の一部が“債務の罠“に陥ったことや、現地の雇用拡大に繋がらないケースもあったことなどが西側の一部メディアなどから指摘されたが、こうした課題を克服する方策を示したと言える。「一帯一路」は過去10年の規模拡大から質の向上へとこれから軌道修正される。「8項目の行動」の達成が、質の高い「一帯一路」共同建設の鍵を握る。引いては、中国の提唱する「人類運命共同体」新理念の世界的な広がりを左右する。
(4)新理念に基づく一帯一路の推進と共に、中国政府は2017年に「デジタルシルクロード」を発表したことを見逃してはならない。
翌2018年に習近平国家主席は「情報化が中華民族に千載一遇のチャンスをもたらした」と指摘した。中国の最新デジタル技術を基準とする「北京標準」と各種製品を世界各国に普及し、世界各国の産業界や情報通信技術の利用方法に多大な影響を与えている。のみならず中国の情報通信が経済、外交、軍事各分野での中国の影響力を増し、多国間協議の場での中国主導によるルール作りに大きく貢献している。これは一帯一路と表裏一体となり、デジタルシルクロードを通じた中国の価値外交と影響力を広げていると言える。
中国の情報通信技術を利用した社会管理は「デジタル権威主義」や「デジタルレーニンニズム」と呼ばれる。先端技術を武器にした覇権国を意味する「テクノヘゲモニー」とも称される。例えば、通信インフラやスマートシティは、監視カメラと情報システムの連携によるテロや犯罪防止の治安対策も含まれている。中国の技術の社会実装に関する価値は、新興国や発展途上国にとって魅力的であるといわれる。
具体的なデジタルシルクロード推進を裏付ける「イニシアチブ」として、一帯一路デジタル経済国際協力イニシアチブ(2017年)、データセキュリティに関する国際協力イニシアチブ(2020年)、一帯一路デジタル経済国際協力北京イニシアチブ(2023年)がある。地域別のデジタル関係イニシアチブとして、中国・ASEANイニシアチブ(2020年)、中国・アラブイニシアチブ(2021年)、中国・中央アジア五カ国イニシアチブ(2022年)、BRICSイニシアチブ(2022年)と、実に広範囲に及んでいる。
(5)中国にとって課題は3点が挙げられる。
①中国政府の対外強権的姿勢に対する警戒感がEUの一部国家でも現われている。
②中国は米中対立の影響から半導体製品やOS、データベースなどの中核技術の不足に直面し、自国メーカー製のコンピュータへの乗り換えが困難である。
③中国製品(ファーウエイやZTE)を経由した自国情報の漏出を警戒し、欧米や日本、インドで中国の情報通信技術や製品の導入をためらう国や通信事業者が増えている。
これらの課題をどう克服するか、が中国主導の世界の実現を左右する。
歴史を遡れば、中国で多くの諸侯が相争う紀元前500年頃の春秋戦国時代に、孔子や孟子、荀子、墨子、老子、荘子などの思想家が輩出し、様々な統治論、人倫論を提唱した。「諸子百家」と称し、中国思想の全てはこの時代に生まれたとされる。下って21世紀の今日、新たな戦争や紛争により、激動する世界情勢を迎えて、西洋の普遍的価値や国連憲章が機能しなくなり、世界は新たな思想や価値観を求めていると言えよう。果たして、中国が「人類運命共同体」理念を国際社会に広めつつ、「一帯一路」の質の高い共同建設やデジタルシルクロードの拡大をさらに推進し、どこまで世界を主導できるか。日本として中国と世界の動向を大局的に捉え、中長期戦略を立てて日本の経済貿易や技術開発を進めていく必要がある。
(2024年1月27日、名古屋市中区の中統奨学館で開催された東海日中関係学会2024年新春公開研究会 の「会長講話」より)