時論 「香港今昔~23年前の返還を取材して~」
2020年8月
時論 「香港今昔~23年前の返還を取材して~」
名古屋外国語大学特任教授 日本日中関係学会副会長 川村 範行
(元東京新聞・中日新聞論説委員、上海支局長)
茶色がかった新聞を開いて見る。1頁目には 「香港 中国に返還」 「155年の英国統治に幕」 と、大きな見出しが躍っている。1997年7月1日付けの中日新聞・東京新聞である。中国特派員として香港に出向き、歴史的な「香港回帰」(中国語表記)を取材したときの光景が鮮やかによみがえる。
香港返還式典は6月30日深夜、煌々と照らされた香港会議展覧センターで開催された。40カ国の約4千人が出席し、中英両国の代表10人が厳かに壇上に並ぶ。午前零時前に英国国歌演奏とともに英国旗ユニオンジャックが降ろされ、午前零時ぴったりに中国国歌演奏が始まり、中国旗・五星紅旗と香港特別行政区・区旗がゆっくりと揚がった。英国から中国へ、主権交代の決定的な瞬間であった。
壇上で、英国代表のチャールズ皇太子が「香港は東洋と西洋が共存できることを世界に示してくれた」「われわれはあなた(香港)を永遠に忘れない」と、感慨を込めた演説を行った。続いて登壇した江沢民国家主席が「鄧小平氏が考案した一国二制度によって香港の祖国復帰がついに実現した」と主権回復を宣言し、「これからは香港同胞が香港の本当の主人になる」と、香港人による香港統治(「港人治港」)を約束した。
あれから23年。我が人生と引き合わせても、長いような短いような年月の経過である。香港は今やあの時の香港ではない。返還後は、「香港的自由放任主義(レッセフェール)と中国特色的社会主義との共存」が問われてきたのである。江主席が誇らし気に言及した「一国二制度」と「港人治港」そのものが変容を余儀なくされたと言える。
23年前の7月1日の香港の朝。車軸を流すような豪雨の中を人民解放軍約4千人が続々と香港に入ってきた。軍用車両の荷台に乗った兵士たちは銃を肩に一様に無表情のままだ。“駐留軍”を迎える沿道の市民たちからは「歓迎」と「不安」が入り混じった視線が向けられた。軍事・外交は中央政府が管轄する―「主権を回復する」とはこう いうことだ、という現実を確かに目撃した。
一国二制度とはいえ、中国の現指導部は「一国」を重視し、香港の民主派は「二制度」を死守する。香港の安定と香港らしさの両立は容易ではない。「香港同胞が香港の本当の主人になる」と述べた江主席の言葉は過去のものか― 。
(2020年8月 記 、日中友好99人委員会会報2020年秋季号『巻頭言』より)
注;香港(中国)は日本より1時間遅い時差のため、香港で1997年6月31日深夜から7月1日未明にかけて行われた香港返還記念式典の内容は、東京新聞・中日新聞の7月1日付け朝刊の最終締め切り(午前1時~2時)に原稿が間に合い、記事掲載された。